チーズの個性は、牧草で決まる。フランスでは当たり前に知られたことだが、日本ではあまり知られていない。こうした本場の考えで風味豊かなチーズづくりを実践しているのが、北海道「のぼりべつ酪農館」の三浦学だ。フランスの国家資格・乳業士を活かし、登別でチーズや乳製品をつくる彼の志と夢に迫った。

酪農家になろうと決意

「みんなチーズのことを知らなすぎる。日本のチーズや乳製品はフランスに比べてかなり遅れているんです」

そう言い切るのは、北海道登別市の「のぼりべつ酪農館」で社長を務める三浦学。彼はチーズの本場フランスで修行した経験を持ち、それを活かしたチーズづくりを実践している。

1964年に国鉄職員の父と北海道湧別町出身の母の間に札幌市で生まれた三浦は、父の転勤であちこちの地方を転々として育った。

「うちは農業とは関係ない家庭でしたが、田舎で暮らすことが多かったので、畑でアルバイトしたり、牧場で搾乳を手伝ったりしたのがいい思い出です。夏休みにはオホーツクの自然いっぱいの母の故郷に行くのも楽しかったですね」

大切な思い出はやがて夢へとつながる。中学生の頃は食べ物に関わる仕事がしたいと調理師に憧れたこともあったが、最終的に目指したのは酪農家だった。

高校卒業後は、北海道江別市にある酪農学園大学に進学。名前の通り、酪農家や獣医、乳業畜産関係を目指す学生の多い大学だ。在学中は酪農家になるための活動に精を出した。

「毎年、夏休みと春休みには酪農家に実習に行きました。家畜人工受精師の資格も取りましたね。酪農のことは実習で学べるので、研究室は乳製品の製造を選んで、ここで知ったのがチーズづくり。大学3年生になってからは、乳業メーカーでアルバイトを見つけて、検査員補助をしました。酪農家の生乳の品質をよくするための仕事ですね。そのご縁もあって、その会社に就職が決まりました」

この会社は、北海道の酪農家の牛乳や乳製品を全国へ届ける準大手乳業メーカー。特に、飲料・食品メーカーや飲食店に卸す業務用商品では、全国の4分の1のシェアを占める会社だ。

入社後、三浦は工場で大規模生産のオペレーションに携わった。この工場は、年間60万トン(1日約1600トン)もの生乳を処理し、乳製品がつくられている。生乳の収乳量としては全国一の規模。チーズはハード系チーズからソフト系チーズまで製造されている。三浦はここで「やったことがないことがない」くらいさまざまな経験をしたという。

「チーズづくりも経験しましたが、工場にはシーケンサーという、ボタン1つでプログラムされた順番で動く機械があるので、それをいじるようなこともやりました。ほかにも、チーズから排出されるホエーを処理した業務用製品づくりもしていました。ですから、生乳の受け入れから始まって、殺菌、分離、濃縮、乾燥などひと通り勉強させてもらったんです。北海道から本州に生乳を送る、ほくれん丸のミルクコンテナを洗う仕事もしましたよ。何しろ、若かったですからね」

フランスへ渡り、酪農留学

© Atout France / Gilles Lansard

こうして入社4年目を迎えたが、この頃から本場フランスの酪農を知りたいという意欲が高まる。元々、16歳で酪農を志した頃から行ってみたかったフランス。10代の頃はお金も人の縁もなく、それは叶わなかった。しかし、20代のこのときはジャーナリストや料理人など何人かの人に話を聞くこともできた。そこで、意を決して、会社を退職し、お金を貯めるために東京へ働きに出て、半年後にはフランスに旅立った。

ちなみに、今では北海道のチーズ工房は130軒*1を数えるが、三浦によるとこの当時(1990年)は3〜5軒しかなかったそう。日本の酪農でトップを走る北海道でも、この頃はナチュラルチーズの需要も供給もさほどなかったことがうかがえる。

学生ビザでフランスに渡った三浦は、アルプスの麓にあるグルノーブルの語学学校に通った。しかし、高い授業料が払いきれなかったこともあって、ヤギ・ヒツジ飼いの下で働き、チーズ造りの修行に入った。

日本では「ヤギ飼い」「ヒツジ飼い」と言ってもピンと来ないが、フランスなどユーラシア大陸各地ではヤギやヒツジを放牧させながら牧草地を遊牧して飼育し、暮らしている人がいる。日課は、ヤギやヒツジを放牧に出し、世話をすること。彼らは仕事の中で、山や植物、動物の知識を身につけている。学ぶべきことも多かっただろう。

その間の半年間、本格的に農業研修として受け入れてくれる酪農家を探し、300通以上の手紙を書いた。そのうち3通の返事が来て、1軒だけ快く引き受けてくれた農家があった。ナンシーの南にあるジェラールメという村の農業法人だった。

ジェラールメは、チーズでいうと、マンステール・ジェロメがつくられているところ。アルザス地方の代表的なウォッシュチーズであるマンステールは、ヴォージュ山脈の東側でつくられたものがマンステールAOC、西側でつくられたものがマンステール・ジェロメAOCとなる。つまり、ジェラールメはストラスブールから見てボージュ山脈を隔てた向こう側にある村。こちらはロレーヌ地方となる。

ジェラルーメで研修をしていると、勉強熱心な三浦にオーナーから「そんなに勉強したいんだったら、この近くに酪農の学校があるから受けてみたら」と薦められた。三浦は、村の組合長だったオーナーから学校の教授を紹介され、試験を受けてみることになった。その学校とは、ナンシーにあるENSAIAというグランゼコール。世界のほとんどの国では大学が最高学府と位置付けられているが、フランスには一般の大学とは別に、高等教育機関の最高峰と位置づけられたグランゼコールがある。グランゼコールは、理工・自然科学系の分野を中心に、行政や芸術の分野もあり、それぞれ専門分野の実学を学ぶ。政府直轄の教育機関であり、フランスが国をあげて少人数をエリート教育するためにあり、かなり狭き門としても知られる。

入学試験は、マークシートや記述式ではなく、学んできたことをレポート形式でまとめる書類選考が一次選考だった。そこには、これまでの経歴や資格、大学の授業や卒論のテーマを網羅して書き記す必要がある。もちろん全部フランス語。あらゆる辞書を引っ張ってきて、死に物狂いでまとめたという。書類選考を無事に通過すると、次は面接による選考。三浦はまだ完全でないフランス語を使って思いを述べ、やれるだけのことをやった。

結果は、見事合格。130人の受験者のうち、合格者はわずか9人だった。

三浦はここでチーズづくりを中心に牛乳や乳製品全般を勉強。酪農業を営むうえで関係することは、簿記や工場ラインのつくり方や機械システムの使い方まですべて学んだ。

「日本に帰ってからチーズ工場をつくる仕事もやったので、このときの学びが生きました、ラインの長さや形状、角度を適正なものに仕上げようと思うと、こうした技術的な知識が必要です。何も知らないと業者の言いなりになって予算がどんどんかかってしまいますからね」

ENSAIAで最も感銘を受けたのは、フランスの酪農家のレベルの高さだったという。

「チーズの原料乳が安定して高品質なのに驚きました。その背景にはフランスで1000年、2000年と続いてきた地域ごとのチーズづくりがあります。フランス革命後、正式にAOCという原産地統制呼称制度ができましたが、フランスの酪農家は自分たちの地域の地質をよく理解し、10種類以上ある土地に生える牧草のことをよく理解していらっしゃる。家畜にとって優位性のある牧草を育てるための手入れをして、それを永遠の装置にしているんです。日本のように牧草地の更新(土をひっくり返して耕起すること)なんてやってない。持続的に再生可能な農業をやってるのが素晴らしいと思いました」

ここで良質のチーズや乳製品に大切なことは、牧草と土づくりにあることを学んだ。例えば、日本人は日本酒をつくるのに水と米が重要だということはわかっていても、杜氏の技術が優れている方が重要だと考えがち。しかし、フランスの考え方は違う。チーズが加工食品だからといって、発酵技術の重要性が環境を上回ることはないのだ。

「フランスは土壌の地質が古く、石灰岩でできた石灰層が多い。土の下に団粒構造*2ができていて、養分の吸着能力が高いんです。こうした土地の土壌を活かして牧草を育てると、牛や羊がそれを食べ、搾ったミルクからつくられたチーズは、その土地に根ざした味わいになるんです」

フランスには500種類にも及ぶチーズがある。そのうち45種類は、AOC(原産地呼称統制)によって保護されている。地域ごとに当たり前にある土壌や牧草を永続的に保ち、そこで育まれたミルクであることを重視している。いい乳製品づくりの根本は、そこにある土壌、牧草、そして牛や羊なのだ。

帰国して乳製品づくりに着手

こうして3年に渡る留学を経て帰国。幸運にも経験を生かせる就職先が見つかった。それが、北海道伊達市にある「アレフ牧場(現・牧家)」。ハンバーグレストラン「びっくりドンキー」などの飲食店を運営するアレフのグループ会社だ。アレフ牧場は、全国の300以上の店舗に牛乳や乳製品を提供。三浦は1995年に入社し、創業者で当時の社長だった庄司昭夫からアレフ牧場の立て直しや乳製品の工場の建設を命じられた。三浦はこれに応え、設計をゼロから行い、ほとんどの乳製品がつくれる工場をつくった。

「フランスから帰国して、やりたいことをやらせてもらえる会社なんて見つからないだろうと思ってました。もう亡くなりましたが、オーナー(庄司氏)も自分と同じような思いを持っていたんです。『日本や北海道の酪農や乳業は、未熟すぎる。お客さんに出すレベルに達していない』という思いがあった。だからレストランに出す乳製品は全部自社グループでつくっていました。野菜も全国の農家と契約していましたね」

ここで三浦は、アイスクリームやチーズ、生クリームなどの乳製品を開発製造していた。やがて10年が経った頃、転機があった。のぼりべつ酪農館がある登別市の札内高原館を訪れたときだった。当時、そこは登別市が市内酪農家の牛乳を使って加工販売する製造所として機能していた。三浦の目的はここへアイスクリームの製造を委託すること。ところが、逆に三浦の技術力を頼りに製造の責任者になってもらえないかと強く要望される。

のぼりべつ酪農館で新しいスタート

のぼりべつ酪農館の建物は、小学校の跡地が利用されている

掛け持ちで働く大変さは想定していたが、断りきれずのぼりべつ酪農館の代表取締役に就任。しばらくアレフ牧場と兼務していたが、2014年に株式を買い取り、専業社長に。従業員10人とともに、力を合わせて新しいスタートを切った。

現在、のぼりべつ酪農館では、牛乳やプリン、アイスクリームそして8種類のチーズが揃えられている。特にチーズは、熟成香の漂う風味豊かで本格派のウォッシュチーズや白カビチーズが手づくりされ、人気が高い。

これを可能にしているのが、登別・室蘭のミルクの品質の高さ。室蘭登別酪農振興協議会の酪農家14戸から集められる原料乳は道内随一。実際、65度30分の低温高時間で殺菌された「のぼりべつ牛乳」は、くさみや舌に残るしつこさがない。ミルクの甘みはあるが、さらりとした飲み心地でごくごく飲めてしまう。一度飲んだら、戻れない味わい。三浦も「酪農家さんの努力には、頭が下がります」と感謝している。しかし、現状に満足しているだけではない。

いま、三浦がめざすのは、もうひとつ上の品質。次のステップに進むために、持てる技術を注いでいる。

「日本の土壌はフランスとは違いますが、弱点を補う土壌管理をすれば、いい牧草が取れることがわかってきました。ですから、酪農家の皆さんに土壌づくりの部分で協力したいと思っています。土壌だけでなく、牛の種類もそう。日本列島の北から南までホルスタインではなくていい。この土地に合う牛を輸入して、興味ある酪農家の方に飼ってもらいたいと思っています」

フランスで学んだ土壌づくりをし、登別室蘭にフィットした牛を育て、フランスのように永続的な酪農のしくみを構築したいと動き出している。もちろんチーズもこうした牧草を食べて育った牛のミルクからつくりたいと思っている。

「フランスのチーズを真似して、そっくりなものをつくっても意味はありません。そういうものって感動的な味じゃない。いかに土地にあった牛乳で、土地にあったアレンジができるか。そうしないと本当のおいしさにはつながらないと思います」

その先に見据えているのは、自身の会社を大きくすることでも、北海道のチーズづくりを盛んにすることでもない。

「まずは自分たちがいいものをつくれるように努力すること。その次に瀕死の重傷を負った日本の酪農を健全にし、再復活したい。それしか僕にはありません」

この言葉を聞く前、日本の酪農業界の窮屈な実情を話してくれた。最近、増えてきたチーズ工房の技術の未熟さや経済的自立の困難さに懸念もある。三浦には、優れた牛乳や乳製品をつくって先鞭をつけるのが自分の役目という使命感があるのだろう。実は、55歳の三浦には、60歳までに叶えたい夢がある。それは、酪農家になって自身の牧場を持つこと。

「みんな僕らくらいの歳になったら、酪農家をやめようかって言ってるのに、おかしなやつだと思うでしょ。でも、やっぱり自分で牧場を持ちたいというのが夢なんです。そこで登別にあった牧草と牛を育てて、この土地ならではのチーズがつくりたい。フランスのAOCチーズに匹敵するものを、登別の土壌と牧草で叶えたいと思います」

三浦が目指すのは、30年前に見たフランスのサステナブルな酪農。その先に風土を活かしたチーズづくりがある。土をつくり、牧草を育て、それを食べて育った牛のミルクから登別の風土を表現したチーズができあがる。そのチーズにはどんな味わいがあるのだろうか。登別の酪農とチーズに新しい伝統が始まるのを楽しみにしたい。

話を聞いたのは・・・・・・
三浦 学
のぼりべつ酪農館 代表取締役
登別市の札内高原内の工場で牛乳や乳製品を製造。
小学校の跡地で直売もしている。
土日には体験キッチン「ポントコハウス」で
ハンバーグやピザも提供し、にぎわっている。
<オンラインショップ>
http://www.rakunoukan-shop.jp
<のぼりべつ酪農館のチーズが買える店>
チーズ王国

*1・・・・・・2016年日本政策投資銀行調べ。
*2団粒構造・・・・・・土壌の粒子が小さなかたまりを形成している構造。保水性に富みながら排水性・通気性もよく、作物の生育に適する。