ワイン業界に身をおきながら、生産者となる一大決心は、さまざまな経験が醸成され、機が熟す瞬間が来る。それまでの歩みが個性的であればあるほど、おもしろいワインを造る可能性を秘めているように思う。
Cave d’Eclat(カーヴデクラ)の出蔵哲夫は、ソムリエ出身の生産者。世界一のソムリエ・田崎真也の下で研鑽を積み、ワインとサービスを究めてきた。その後、ワイン講師やワインツアーディレクター、ワインショップでも経験を積んだ。ワインを職業にしてきただけでなく、山梨の若手生産者のもとへ通い普及活動もしてきた。日本のワイン界にあったできごとをプロとして俯瞰しつつ、自分もそのなかで熱狂してきたのだ。
ワインに半生を捧げてきた経験を、どのように生かすのか楽しみな生産者が誕生する。
世界一のソムリエ・田崎真也氏に薫陶を受ける
北海道札幌市出身の出蔵哲夫のキャリアのスタートはサービスマンだった。1997年に札幌市のホテルに入社後、メインダイニングに配属。サービススタッフだけで13人(うちソムリエは4人)もいる豪勢な職場環境だった。フレンチの世界でいう“コミ・ド・ラン”というサービス見習いの立場からスタートし、仕事を1から叩き込まれた。その後、札幌のフレンチレストランを中心に渡り歩き、2005年に上京。「上をめざすなら東京」との熱い思いがあった。
上京して本格的にソムリエとして腕を磨いたのが、田崎真也氏がオーナーを務めるレストラン。フレンチと和食のレストランで通算5年働き、そのうち3年は店長も務めた。
「普段はランチからディナーまで営業があるので、テイスティングをするときは一気に120種類以上飲んで、そこで世界のワインにふれました。田崎さんから、デキャンタージュを直接教わったのはいい経験です。ワイン1本1本の個性を見極めて、酸化具合を考慮してスピードを調整するといった高度なもの。他の人がついていけないほどワインに飛び抜けている孤高の人で、常人には図れないものがありました」
同店のソムリエだったことで、田崎真也ワインサロンの全授業を受講できる特典もあり、あらゆる側面からワインを見る目を養った。代表的なワイン産地の知識やテイスティングはもちろん、マイナー産地や食文化、チーズの知識、さらにはワインジャーナリスト講習といったものまで、受けられるものは全て受けた。
1本のワインをきっかけに産地へ
そんなソムリエ時代に、1本のワインと出合う。新井順子氏がロワールで造った2003年のソーヴィニヨン・ブランだった。
「エリア(産地)じゃなくて造り手を意識するようになったワインです。飲んでみると、ロワールのソーヴィニヨン・ブランっぽくない。けど、美味しい。ワインをエリアで一括りにするのはわかりやすいけど、それだけじゃないんだなと思いました」
そこから造り手への関心が高まり、日本のワイン産地・山梨に通い始めるようになる。出会ったのが、自身と同世代の20〜30代の若手醸造家だった。
「当時は、“アッサンブラージュ”という若手8人で勉強会やイベントをしていた醸造家グループが活動をスタートさせた頃でした。彼らと出合ったことでワインがより身近になって、世界のワインだけじゃなく日本ワインを飲む機会が増えました。その頃の経験で日本ワインの味の統計がデータベースとして体の中に入っていった感覚があります。いま日本ワインがすごく増えていますが、修業したワイナリーで味の系統は似ていたりするので、経験が生きています」
しかし、当時はその経験を活かして造り手になろうという発想にはならなかった。むしろ、同じように山梨に通っていたワインラバー達と日本ワインを盛り上げる活動に注力。2010年には「日本ワイン振興ネットワーク」を立ち上げている。当時の仲間は会社員としてブログなどで活動していた人が多かったが、現在はプロとしてワインショップやワインバーを経営。引き続き日本ワインを広げる活動をしている頼もしいメンバーだという。
ワインの裾野を広げられる造り手に
その頃、出蔵も東京の店をやめて札幌に帰郷し、ライフワークとしてやってきた「ワイン人口を増やす」活動を本格化させていた。
「当時は月に1〜2回吉祥寺や三鷹でワインセミナーの講師をしたり、北海道でワインイベントやワインツアーガイドをしたり、札幌のワインショップなどで働いたりもしていました。やってみて思ったのは、そうした活動は、すでにワインを飲んでいる人にしか広まらないということ。そうじゃなくて、ワインに縁もゆかりもない人がワインを飲むようになるにはどうしたらいいかと考えました」
その結果、出た答えこそ、「自分が造り手になること」だった。
「ジャガイモ掘りやさくらんぼ狩りをして農作物を作る体験をすれば、その農作物への関心は高まります。それがワインだったら、飲んでみたいと思うようになる。自宅に持ち帰れば、家族にも広がりますし、正月に持って帰れば、実家や親戚にも広がるでしょう。そういう場が提供できるワイナリーを僕自身が造りたいと思いました」
そう思うや否や造り手になることを決めた。迷いはなかった。さまざまな活動をしてきた結果、「それしか道はない」ことを悟ったのかもしれない。まさに機は熟した。2014年のことだった。それにしても、生産者になる経緯がとても献身的。ワインに恩返しをしたい気持ちが伝わってくる。何かきっかけがあったのだろうか?
「僕自身、ワインにしか癒せない傷があると思っています。ギリギリの精神状態で追い詰められ気力体力が尽きて、『もうダメだ』というときに、ワインバーでシャンパーニュを飲んで解放されたんです。ワインを知って、そういう思いになってくれる人が一人でもいてくれたらいいなと思っています」
ワインはヴィンテージが感じられる神の恵み
生産者になる決心を固めた後は、すでにワイン産地となっていた場所を候補地にあげた。なかでも行政の積極的な働きかけがあった余市での就農を見据えて、2年間の新規就農制度でブドウ栽培の研修に入る。ついた親方は、十勝ワインの栽培農家である細山農園・細山正巳氏。2年間の修業を経て、約5haの土地に40aのプルーン、20aのサクランボ、中古のトラクターとその倉庫が付いた畑を取得して、Cave d’Eclat(カーブデクラ)として独立した。
Caved’Eclatとは、苗字「出蔵」からの一字「蔵」(Cave=カーヴ)と、デクラ(de Eclatの短縮形)を合わせた造語。 Eclatには輝きや眩い光を放つものという意味があるため、輝き溢れる農産物を蔵から世界に送り出したいとの思いで命名した。
畑の取得後は、徐々にブドウ畑を増やし、4年かけて植樹。現在、シャルドネとピノ・ノワールがメインで植わっている。苗木を植えてからワイナリー設立までは、本格デビューまでの第2の修業期間。これまでワインと関わってきた経験を生産者としてどのようにワイン造りに落とし込んでいくのかを練り上げるべきときでもある。
畑づくりは、除草剤や化学肥料を使わず、なるべく自然のままで育てている。自分のやりたい農業と市場で求められるワインを考えた結果だ。
「あくまで農業は神の思し召しのようなイメージで、そのほうがおもしろいと思っています。神の恵みに手を加えるのは、あまり好きではない。ワインにはヴィンテージの概念があるから、そこはもうちょっと楽しみたい。それがワインの個性だと思うので、あまりいじりたくないと思っています」
ワインの魅力は画一的でないところ。「よくできたワイン」よりも「つかみどころがないけれど、次も飲みたいワイン」に魅力を感じるもの。ヴィンテージごとに農産物らしい味わいを届けたいのはもっともな話だ。
新しい体験のできるワイナリーを計画
ワイン醸造については、毎年さまざまなワイナリーで腕を磨いている。きっかけは開園したばかりのドメーヌタカヒコで栽培・醸造ボランティアだった。その後、カーヴデクラで新規就農してから本格的にワインを造り始めた。2016年は同じ町内のリタファーム&ワイナリーにて、買いブドウで白ワインを醸造。2017年は三笠のタキザワワイナリーで白のスパークリング、2018年は同ワイナリーで赤のスパークリング、2019年には東京ワイナリーで赤ワインを造った。今年は自園のブドウで500本ほど造れる予定となっている。
「いろんなところで醸造してみると、それぞれ発見がありました。タキザワワイナリーで醸造したのは、(醸造責任者。宮本ヴィンヤードの)宮本さんのシャルドネに憧れていたから。学ぶことは多かったですね。昨年の東京ワイナリーは環境がいいので、募集をしたらいろんな人に手伝ってもらえた。当初、思い描いていたように一般の方にも醸造の場にふれてもらうことができました」
ワイン造りを思い立ったときの発想どおり、一般の人を巻き込めるイベントはこのほかにも積極的に開いている。今年は春にブドウ畑でバーベキューを3回実施し、多いときは20人ほど集まり、子どもから大人までが楽しめるイベントになったという。リリースパーティーは、札幌、東京など3都市で毎年開催。今シーズンは、まず東京のNEW VALLEYなどで実施し、盛況を博した。
実は、私も東京ワイナリーの醸造を手伝い、ワインを飲ませてもらった一人。プレスジュースのときからの変化がわかり、ほかではできない体験だった。味わいについても、満足度が高かった。出蔵が目指していたのは、ワインに親しみがある人もない人も、誰が飲んでもおいしい思えるワイン。飲んでみると、ツヴァイゲルトとピノ・ノワールのパストゥグランは、堂々とした果実味とチャーミングさが融合したキャッチーなおいしさ。まだ醸造経験が浅いにも関わらず、ねらいどおりに仕上がっているのに驚いた。
これができたのはソムリエとして世界のワインにふれ、日本ワインに対しても分析ができていたから。やはり、長年ワイン業界に身を置いて、マーケットを分析してきたアドバンテージは大きい。自園でシャルドネとピノ・ノワールでブドウを育てているのは自身が好きなのもあるが、認知度の高い品種だから。余市・登町で育ったブドウでどんな味わいに造り上げてくれるかこれからが楽しみでならない。
こうして栽培研修からの7年間、さまざまな経験をしてきたカーヴデクラ。本格始動まであと1年。ワイナリーの設立は2021年10月を予定している。畑の隣に新しく建てる建物は、“工場”で終わらないものにしていく。
「ワイナリーや畑は、人を呼べる空間にしたいと思っています。ショップがあるとかカフェがあるとか物理的なものというより、招き入れるアットホームな感覚。別荘に遊びに来るようなイメージで畑や醸造所を見に来てほしいですね」
余市には、気軽に遊びに行けるワイナリーが少なかったが、カーヴデクラは気軽に立ち寄れる場所になりそうだ。折にふれ、イベントも実施されるだろう。ワインに親しむ機会を提供したい、そんな思いが凝縮したワイナリーになる。出蔵哲夫の理想がかたちになったとき、新しい体験を与えてくれるワインとワイナリーが日本に完成する。
☆Information☆
ワイン購入やリリースパーティーの情報は、Facebook<Cave d’Eclat カーヴデクラ>で更新中!
ワイン購入はカーブデクラ会員は2021年から、一般販売は2022年予定。
話を聞いたのは…
出蔵哲夫
カーヴデクラ代表。
札幌市生まれ。ソムリエやワインショップ勤務、
ワイン講師などを経て、余市へ。
2021年にワイナリーを開設し、
シャルドネやピノ・ノワールでの
ワイン造りを予定している。
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