日本ワインに新しい息吹をもたらすように新規就農してワイン造りをめざす人が増えている。北海道仁木町の大野崇もそんな1人。2年前、28歳でワインのインポーターを退職後、2019年から仁木町に暮らし、2021年の畑取得を念頭に修業している。東京出身ながら北海道へ移住し、町にとけ込み奮闘する彼のワイン造りのプロローグに迫った。

料理人志望から酒類業界へ

自ら育てたブドウでワイン造りをするまでには長い年月がかかる。ブドウが成長するまでに時間を要するだけでなく、その人自身も畑とワイナリーの設備を整え、栽培や醸造の技術を身につけなくてはならない。移住して初めてワイン造りを始めるとなれば、その決断の意味も大きい。

大野崇は、多摩川に近い東京の住宅街で生まれ育った。父方の祖父が秩父で農業をやっているというが、小さい頃の思い出は、つまみ食いしながら収穫をやったくらい。農業にきついイメージもなければ、憧れも抱いていなかった。むしろ、学生時代に興味を持ったのは、料理人だった。

「高校を卒業したら、料理の専門学校に通いたかったんですが、親の反対にあって大学に進学しました。でも、どうしても諦めきれず、バイトして貯めたお金で3年の後期から夜間の専門学校に通い始めました」

夜間の専門学校の学生は社会人がほとんど。クラスに同い年が3人いたほかは、30代から50代。昼間は大学とバイトに精を出し、夜に専門学校が終わったら、年上のクラスメイトと飲み歩くのが日課に。気づけば酒の沼にはまっていた。

「毎日のようにお酒の飲み方を教えてもらって、学生が行かないような赤坂や六本木のお店にも連れていってもらいました。バイト代はほぼ酒代に消えて、気づけば月に15万円くらい使っていたことも。そのおかげでお酒の魅力に気づいて、酒類業界で働きたいと思うようになりました」

酒類業界のなかでも流通に興味があったため、選んだのは地元・中堅スーパーの酒販部門。新卒から部門別採用をしていたため、酒販部門で働けるのが魅力だった。実際に入社半年後には、仕入れを担当させてもらえるように。日本酒、焼酎、ワインをガンガン仕入れ、ガンガン売った。途中、バイヤーも経験し、そのなかで一番しっくりきたのがワイン。入社3年が経過した頃、インポーターに転職した。

転職先は、フランスを中心にした自然派ワインのインポーター「BMO」。ここでは営業職として、レストランや酒屋にワインを紹介する仕事に就いた。インポーターで働いていると、来日する生産者を案内したり、現地へ生産者を訪ねることもある。そうした経験のなかで、「生産者や現地の暮らしを知りたい」という思いが募る。

「当時は、ワイン造りをしたいというより、海外でワインを生産している人の生活や人そのものに興味がありました。このとき28歳でしたが、ワーキングホリデーが取れるうちに色々な世界を見たいという思いがあったんです」

つまり、この時点ではワイン造りを念頭に海外へ出てみようと思ったのではなかった。

ボージョレへ渡り、ブドウ栽培とワイン造りを経験

インポーターを退職した後、ワーキングホリデー先に選んだのは、なじみのあったフランス。滞在先は、ワイン生産者に直接コンタクトを取った。受け入れてくれたのが、ボージョレのシリル・アロンソとフロリアン・ルーズ。彼らは2人で、「P-U-R」という名でネゴシアン醸造(栽培家からの買いブドウでのワイン醸造)を成功させた後、マコンに12haの土地を取得し、「シャトー・ド・ベル・アヴニール」の名で自家ブドウでワイン醸造を始めた自然派ワインの生産者。広大な畑の隣には、手伝いをする人のための寄宿舎も用意されている。自然派ワインのインポーターで働いていた大野にとって、願っても無い滞在先だった。ここへ、パートナーの彼女とともに渡仏した。

フランスを訪れた季節は春。ワイナリーでの仕事はブドウ栽培だった。畑には他にも世界各国から若者が働いていた。彼らはボランティアサイトを通じてやってきて、農家の手伝いをする代わりに寝食の世話を受けていた。1、2ヶ月の間、オーガニックライフを体験してみるのが彼らの目的だ。インポーター経験があって、生産者に敬意がある大野とは働きぶりも異なっていたのだろう。

人一倍熱心に働く大野に対し、シリルから栽培家からブドウを買ってワインを醸造してみないかと薦められた。かつて彼らがやっていたように、ネゴシアン醸造家としてワインを造ってみることができるのだ。大野としても「ありがたいお話」と素直に受け、醸造をやってみることにした。2017年はブルゴーニュ全体が恵まれた年。ボージョレも病虫害が出ず、健全で良質なブドウがたくさんとれたという。

「ブドウが良かったせいか、発酵は順調に進んで、最終的にもSO2を入れる必要がないくらい醸造はスムーズにいきました。シリルは、ワインはブドウが8割・醸造2割だと思って造っているので、醸造は非常にシンプル。ブドウの味を損なうような工程はありません。僕もそれに倣ってワインを造りました。とはいえ、ルモンタージュやピジャージュの回数は僕の方が多かったかもしれません。還元が起こりそうになったら注意深く早めに空気接触させたりしました。出来としても、満足のいくワインになりました」

ブドウの質の良さもあったが、初めての醸造はそれまでに培った試飲経験が生きた。ワイン造りはシリル・アロンソに高く評価された。そして、販売に関してもインポーター時代のなじみのレストランやショップに声を掛け、3日で完売したというからすごい。

栽培と醸造と販売をひと通り経験したあと、気持ちの変化が起きる。「自分でブドウを栽培して、ワインを造ってみたい」という思いが芽生えたのだ。なぜ、そう思ったのだろう?

「ワインを造ってみて、あまりにシンプルで拍子抜けしたんです。つまり、いいブドウがとれれば、それだけいいワインになるということに気づきました。それなら、日本に帰って自分でブドウを育てて、ワインを造ることを仕事にしたいと思ったんです」

ワインを造ってみて、改めてブドウ栽培の重要性に気づき、人生を賭けるやりがいを見出したのだ。実際、フランスに渡って一番きつかったことを聞くと、栽培だったと教えてくれた。チャレンジは大きい方が人生を賭ける意味がある、そんなふうに思ったのだろう。20代という若さも彼を後押しした。

「会社も辞めていたので、やりたいことをやってみようという気になっていました。例えブドウ栽培に失敗してその時、35歳だったとして、借金を背負っても働きながら返していける。失敗するとしても若いうちならいいかなと思ったんです」

仁木へ移住し、ワイン造りを目指す

思いを決めた後の行動も早かった。日本でワイン造りを見据えた新規就農を考えて候補地にあがったのが、北海道。ワイン産地であり、パートナーの実家があるからだ。そのなかでも果樹の収量が見込める、余市を移住先の第一候補にあげた。早速、年始に帰国し、町役場のスタートする1月7日午前中にアポイントを取った。

余市町役場で新規就農の相談をしてみると、逆に「1つの自治体を見て決めるのはよくない」と、隣の仁木町をすすめられた。2011年からワイン特区に認定されている余市町は、すでに新規就農による移住者が多かったという事情もあるだろう。大野はすぐに仁木町役場に電話をかけ、早めのアポイントをお願いした。すると、その日の午後に時間をつくってくれたというから、歓迎ぶりが伝わってくる。約束の時間に役場に着くと、さらに大野を驚かせた。

「面談に5人くらいの人が待っていてくれました。今でも関わってくれている課長や参事の方ばかり。僕のために急いで関係者をかき集めてくれたんだな、というのが伝わってきました」

実際に話を聞いてみても、かなり親身になってくれたうえ、移住制度も手厚かった。大野が紹介され、応募した制度が「地域おこし協力隊」。1年以上3年以下の期間、募集のある自治体で生活し、地域協力活動をすれば、活動費がもらえる制度だ。活動費は自治体によって異なるが、仁木町の場合はそれだけで生活していくのに十分な額が支給される。大野は、役場の人達の歓迎ぶりと制度の充実によって、仁木町への移住を即決。特に「見知らぬ土地で、役場の人の良さが決め手になった」と教えてくれた。

2019年4月、大野は仁木町へ移住し、地域おこし協力隊として活動をスタート。地域おこし協力隊の活動は、自治体によって異なるが、仁木町の場合は地域を盛り上げるイベントに協力する以外は、永住の目処を立てる活動を自主的に計画してやればいい。

大野の活動はブドウ栽培の実地研修がそれに当たる。特定の農家につくというより、手伝いが必要な農家の畑へ出向くスタイルで修行している。いろいろな農家に行くことで栽培の違いがあって勉強になっているという。このほか、地域で実施されるセミナーや勉強会も頻繁にあって、これも自身の学びとなる。1つは町の産業課農政係が主導した研修会や講習会。これは小樽余市仁木エリアのベテラン農家から剪定などの栽培技術を学ぶもの。

ほかに、北海道の総合振興局が主催するものもある。昨夏にはフランスの地質学者による貴重な土壌セミナーがあったという。こちらは本来、道南の渡島地方のワイン生産者向けのものだったが、10Rワイナリーのブルース・ガットラヴが働きかけ、道内の生産者や就農予定者なら誰でも聴けるようになった。こうした動きが示すとおり、ベテラン生産者による若手生産者への学びのチャンスが与えられる状況にあるという。

「北海道全体でつくりのレベルを上げたいという気持ちの表れなんだと思います。ありがたい先輩達ばかりで、足りない知識を教わる機会は多いですね。例えば、自然農園の上田一郎さんからは有機栽培を教わりましたし、ル・レーブ・ワイナリーの本間裕康さんからは新規就農の制度や観光的な取り組みについて聞きました」

ほかにも、ドメーヌ・タカヒコの曽我貴彦や栗澤ワインズの中澤一行や近藤良介など、早くから個人でワイン造りをしている先輩たちからも何度か話を聞いているという。北海道は、知識を得ていくのに申し分ない環境にある。

さらに大野が土日や平日の代休を使ってやっているのが、インポーターの委託営業の仕事。

「経験を活かして、全国へ営業に行っています。北海道からの旅費はすべて自己負担になるので、正直あまり儲けはありません。でも、ワインで繋がった縁を大切にしたいので、可能な限り直接お店までご挨拶に行っています。将来、自分の事を知ってもらっているお店に、扱っていただけるようにと思っています」

ドメーヌ・マルメガネ

2019年のボージョレのブドウで造った「セレクション・マルメガネ」。東京や横浜のレストランで飲める

また、昨年もシリル・アロンソから声がかかり、ボージョレでワインを醸造。4種類のワインとジュースを造った。

ワイナリーを運営するまでには、長期に渡る資金計画が必要になる。現在の大野の収入源は地域おこし協力隊の活動費とインポーターの委託営業、ボージョレで造ったワイン。現在は貯金できる余裕もあるという。しかし、地域おこし協力隊の任期が終わった後は、活動費が出なくなる。そのときには農業次世代人材投資資金(年間最大150万円)といった国の新規就農補助金を利用する手もある。

これだけで生計は成り立たないが、大野は「自分の畑を持ったら、できるだけ畑に集中したい」という。アルバイトに精を出して畑がおそろかになるのは避けたいのだ。そのときに今の貯金が生きてくる。もちろん畑を取得し、ワイナリーを建てるとなれば1000万円以上が必要になる。移住・就農、ワイン特区など制度が充実した現在、やる気があれば何とかなる面もあるが、自己資金や貯金はある程度用意しておいたほうがいいだろう。

畑の取得は売主の気持ちに寄り添って

生活のベースを整え、修業するだけでなく、新規就農の準備も必要だ。なかでも最も大事なのがブドウ畑の取得。外から来た新規就農者にとって、農地の確保だけでも大変だが、単に土地が手に入ればいいだけではない。ワインの味をブドウの出来が決めるとすれば、ブドウが育つ環境の選択はこれからの運命を握っているのだ。

畑などの農地を取得するには、それを管理する町の農業委員会に問い合わせるのが一般的。しかし、農地はそう簡単に出ていない。たとえ使われていない農地でも受け継いだ畑を手放すのにためらいがあるからだ。また、もし人手に渡った後、近隣の畑を持つ人に迷惑をかけてしまったらという思いもある。加えて、仁木町の地価はここ数年、大幅に値上がりしている。資本力のあるワイナリーがそれまでの2倍で土地を買い取ったからだ。さらに高速道路の建設も控えている。心情面で売りきれない人もいれば、価格面で売りしぶっている人もいる。

とはいえ待っていても仕方がない。大野は暇を見つけては車を走らせ、使われていない畑がないか探していた。ある日、車窓の外にあった畑が目に止まった。面積も、日照条件も、風の通り具合も自分の思う条件に当てはまっていた。その畑のことを農業委員会に話し、斡旋してもらったところ、2021年春頃であれば、譲渡しても良いとの知らせがきた。公平を期すために募集がかけられたが、応募したのは大野だけ。自分の理想の畑を取得する交渉台に乗ることができたのだ。現在、正式な手続きができるのを待つ段階に入っている。

農地確保の目処がたったら、ブドウの苗も注文しなくてはならない。苗は注文してから届くまで2〜3年かかるからだ。大野は、ブドウの苗を13品種を仕入れる予定だ。品種を多めに注文したのは、仁木の土壌に合うワインの見きわめと、収穫時期をずらすのがねらい。

移住して約1年が経過し、仁木町での暮らしにも慣れてきた。最近では、民間企業から仁木を盛り上げるイベントの手伝いを頼まれるくらい地域になじんでいる。「末っ子長男という気質が影響しているのかも」と笑うが、本人としても町の人に溶け込めていることをよろこんでいる。

「仁木は人口が3000人の町で、地域のコミュニケーションが密です。特に年配の方は気にかけてくださって、『これ、持っていきな』と野菜をもらうこともあります。そういうところに入り込ませてもらっているのは、ありがたいですね。これから畑を譲ってもらう立場ですが、売主さんにとっても地域にしっかり根付いていないと不安に思われる。そこは気持ちよく売ってもらえるようにしたいと思います」

畑の取得について、1年以上も待つのは焦れる思いがあるのではないかと聞いてみたが、「畑を売ることは売主さんにとっても大きな選択。大事にしていたものを新参者に売るとはなりにくいと思うので、そこは気持ちに寄り添いたい」との腹づもりでいると教えてくれた。こうした思いで待つことも移住してワイン造りを目指す人の覚悟なのだと思った。

ワイン造りの理想と覚悟

2021年春に畑が取得でき、うまくブドウが成長すれば2024年頃の収穫分からワインに仕込めるはず。思い描くワイン造りは自然派だという。

「ボージョレのシリル・アロンソに教わったように、ブドウを自然に育てて仕込めたらと思っています。生産者でいうとBMO時代に扱っていた、オーストリアのフランツ・シュトロマイヤーのテイストに近づけられたらいいですね。ワインの味わいとしては、ミネラル感と酸がしっかりあるんだけれど、旨味も強烈に感じる。そのバランスがすごく好きですね。栽培もうさぎにブドウを食われようが何もしない(笑)。実際、生活がかかるとそんなふうにはできないですが、憧れますね」

ワイン造りの理想は語ってくれたが、実際に自身がワインを瓶詰めできる頃にはワイナリー経営は今よりもむずかしくなっているのではないかと予想する。現在、余市仁木のワイナリーは14軒ほどだが、数年以内に30〜40軒くらいに増えると言われている。この日本ワインブームもいつまで続くかわからないと、厳しくとらえている。

「お手伝いを募集すれば集まったり、ワインを造れば売れるという状況は長く続かないと思います。ワインの味は好みがあるので何ともいえませんが、流通面で自分で販路を確保したり、売り方を提案していく必要がある。ワインを売ってくれる酒屋さんのことも考えなきゃいけません。僕のワインができるまでには何年間かあります。いろんなことを考えながら、応援してくれる人に届けたいですね」

そう答える姿に、ワインが届けられるまでの年月とじっくり向き合う心づもりがあることがうかがえた。実際に自身のワイナリーがスタートするのは、ある程度収量が見込めるようになる2026年頃だろうか。だとすると、移住して8年はかかる計算になる。その間は、大野自身がブドウのある仁木に根ざし、幹を太くする期間なのかもしれない。

日本ワインのなかでも個人が小規模なワイナリーを運営するようになったのは、ここ数年の話。そこに30歳の若さで挑んでいること自体、身を賭した闘いなのだ。しっかりと足場を固め、踏ん張っていかなくてはならない。そう考えると彼が落ち着いて構えている理由がわかる。6年後、ひとまわり大きくなった大野崇とワインをゆっくりと待ちたい。

話を聞いたのは…
大野 崇
1989年、東京都生まれ。
インポーターを経て渡仏。
仏ボージョレで栽培醸造を経験した後、
北海道仁木町へ移住しワイン造りの道へ。
2018年からボージョレで仕込んだワインを
「セレクション マルメガネ」でリリースしている。
Twitter:@DMarumegane
Instagram:@domainemarumegane


2019年の「セレクション マルメガネ」は、
4月下旬頃リリース予定。
↓お問い合わせはこちらまで↓
domaine.marumegane@gmail.com (担当:大野)